2017年02月25日

俳句とは漬物のようなもの

「漬物の味」  種田山頭火

私は長いあいだ漬物の味を知らなかった。
ようやく近頃になって漬物はうまいなあとしみじみ味わっている。

 新鮮そのものともいいたい白菜の塩漬もうれしいが、鼈甲のような大根の味噌漬もわるくない。辛子菜の香味、茄子の色彩、胡瓜の快活、ミズナの優美、――しかし私はどちらかといえば、粕漬の濃厚さよりも浅漬の淡白を好いている。

 よい女房は亭主の膳にうまい漬物を絶やさない。私は断言しよう、まずい漬物を食べさせる女は必らずよくない妻君だ!

 山のもの海のもの、どんな御馳走があっても、最後の窮めつけは、おいしい漬物の一皿でなければならない。
 漬物の味が解らないかぎり、男は全き日本人ではあり得ないと思う。

そしてまた私は考える、
――漬物と俳句との間には一味、相通ずるところがあることを。――




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さあ、いよいよ今週末。
横浜が熱い!
私は種田山頭火の句を編集した新作で参戦します。
個性的なアーティストが揃う記憶と想像の間ライブ!


入場料はたったの千円。
場所は関内長者スタジオ

この機会に是非ともお越しください。
お待ちしております。

予約・問い合わせ
jinya1@megalo.biz
080-6705-1359

タイムスケジュール

2月25日
14:30 open/15:00 start
オープンマイク ※エントリー受付中
15:30
マナムラ・ミノ
芽森ちさと
紅次郎
(休憩)
17:00
亜呂波亭ロコ輔
心太図(今井尋也+芽森ちさと)
ikuyo

18:30 終演
18:45 乾杯
19:00〜19:30 フリーセッションタイム
20:30 close

(時間は予告なく変更になる場合があります。
ご了承ください。)


http://www.choja.info
posted by jinya at 07:04| Comment(0) | 芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

種田山頭火「私を語る」

近代詩人種田山頭火の言葉は現代に響く。

種田山頭火「私を語る」

 私は労れた。歩くことにも労れたが、それよりも托鉢の矛盾を繰り返すことに労れた。
袈裟のかげに隠れる、嘘の経文を読む、どうやったら恵んでもらえるか苦心する、――およそ供養を受けるのに相応しくないものが供養を受ける苦脳には堪えきれなくなったのである。

 或る時は死ねない人生、そして或る時は死なない人生。生死去来真実人なり。生きるか死ぬか、その真実がまさにその人に現れている。しかも生死去来は仏の御命でなければならない。

 征服の世界であり、闘争の時代である。人間が自然を征服しようとする。人と人とが血みどろになって掴み合うている。
 敵か味方か、勝つか敗けるか、殺すか殺されるか、――庵中閑打坐白雲起峰頂、
こんな時代に家の中で静かに座禅をしているばかりでは許されないであろう。
しかし私は、無能無力の私は、時代錯誤的な私は、巷に立ってラッパを吹くほどの気力も持っていない。私は私に籠る、時代錯誤的生活に底に潜んでいる。
『空』の世界、『遊化』の寂光浄土に精進するより外ないのである。

 本来の愚に帰れ、そしてその愚を守れ。

 私は、我がままな二つの念願を抱いている。ひとつは、生きている間は出来るだけ感情を偽らずに生きたい。言いかえれば、好きなものを好きといい、嫌いなものを嫌いといいたい。やりたい事をやって、したくない事をしないようになりたいのである。そしてもう一つは、死ぬ時は端的に死にたい。コロリと往生を遂げるのだ。

 私は私自身が幸福であるか不幸であるかを知らないけれど、
私の我がままな二つの念願がだんだん実現に近づきつつあることを感ぜずにはいられない。
放てばこの手に満たされる、私は私の手をほどこう。

 ここに幸福な不幸人の一句がある。――

このみちや
いくたりゆきし
われはけふゆく

※多少意訳して編集しました。


posted by jinya at 06:47| Comment(0) | 芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする